松風【7979】 人工歯をグローバルに展開!
会社訪問第6弾は、松風(7979)です。アクションラーニングと同じ京都市に本社がある会社です。
京都の町は東西北の三方を山に囲まれていますが、松風は「東山三十六峰」のほぼ南端の山裾にあり、山側には美しい紅葉や庭園で有名な「東福寺」があります。また東福寺の先、山を越えたところには「清水焼団地」があります。
松風本社の所在地は、京都市東山区福稲上高松町11。同じ「福稲上高松町」の町内には、任天堂(7974)のかつての本社(1959年~2000年。現在、任天堂京都リサーチセンター)もあります。
松風本社の門を入ると、中央を広場のように取り囲んで両側に建物があります。
敷地には大きな樹木もあり、大学のキャンパスのような佇まいです。周囲の芝生から爽やかな風がそよいでいました。そんな学究的な雰囲気の中、インタビューは研究所の一室で行われました。
1.創業は1922年。もうすぐ100年企業!
松風の創業者は、三代 松風 嘉定(しょうふう かじょう、1870年~1928年/明治3年~昭和3年 )さんです(以下、敬称略)。社名の松風は、創業者の名字だったのですね! とても珍しい名字だと思います。
三代というだけあって、初代、二代 松風 嘉定もいらっしゃいます。
初代 松風嘉定は、製陶家で、1830年(天保元年)に京都の清水坂で開窯されました。初代は清水焼(京焼)の窯元だったのですね。
二代 松風嘉定は窯元を承継しつつ、1887年(明治20年)設立の京都陶器会社でも重要な役割を果たし、輸出用陶磁器の産業化に尽力しました。
そして、松風の創業者となる三代 松風嘉定は、1870年(明治3年)に愛知県瀬戸市で生まれ、松風家の養子となりました。三代 松風嘉定は、京都陶器に勤務した後、1906年(明治39年)に「松風陶器合資会社」を設立しました。
松風陶器は、高級な輸出用陶磁器を製造する一方、製陶技術を応用して、当時の電力網構築などのインフラ整備に欠かせない高圧用碍子(がいし)を開発し、製造・販売を行いました。松風陶器は、設立11年目の1917年(大正6年)には「松風工業株式会社」に改組しています。
碍子というと、電線を電柱などに固定する際に、間に挟まれる絶縁器具です。電線から漏電しても、碍子から先には電気が流れないので、電柱に触っても大丈夫というわけです。碍子は送電線用、配電線用、変圧器用など、様々な種類のものがあります。古い民家などでは、小さな碍子が梁に取り付けられ、家庭内電気配線がされているのを見ることができますね。
現在、碍子メーカーは日本ガイシ(5333)が世界一です。日本ガイシも陶磁器製造の日本陶器(現在のノリタケカンパニーリミテド(5331))から分離独立した会社です。
また、日本で最初に碍子を作ったのは、高級磁器で有名な有田焼の香蘭社といわれています(香蘭社は現在も碍子を製造しています)。
文献によると、松風工業は大正時代に「日本碍子と国産碍子の市場で競合し、理化学磁器ではドイツ製品と市場を二分していた」という記述もあります。
松風工業、日本陶器(ノリタケ)、香蘭社ともに、高級磁器の輸出で外貨を稼ぐ一方、明治政府の殖産興業政策や、その後の産業発展による電気、電信、電気鉄道整備などが盛んに行われる中で、陶磁器製造の技術を転用した国産碍子の提供によって、欧米の先進諸国を追いかけていたんですね。
そして、三代 松風嘉定が設立したもう1つの会社が1922年(大正11年)設立の松風陶歯製造株式会社です。この松風陶歯製造が現在の株式会社松風です。
松風工業とは兄弟会社になります。いま2017年ですから、あと5年で100年企業です。
三代 松風嘉定は、1923年(大正12年)に和洋折衷の瀟洒な洋館を清水坂に建設されたのですが、これが大正モダニズムの粋を集めた洋館といわれ、「五龍閣」の名で国の登録有形文化財となっており、現在も見ることができます。
このように松風は、江戸時代に初代 松風嘉定の始めた清水焼が、後年発展する輸出用高級陶磁器、碍子、人工歯などの源流となっています。また明治時代から盛んに輸出を行っていたり、海外の進んだ技術の研究をしているなど、その流れは現在の松風に、脈々と受け継がれていると思います。
松風工業と村田製作所、京セラ
松風工業は、1917年(大正6年)設立で、かなり大きく碍子製造を行っていました。
村田製作所(6981)創業者である村田昭の父、村田吉良が松風工業のすぐ近く、東山区泉涌寺東林町で「村田製陶所」を立ち上げ、碍子製造を始めたのが1925年(大正14年)です。近隣の同業者だったのですね。この頃の京都清水では「貸し窯」という制度があり、共同で窯を使えたそうです。村田吉良もこれを活用したとのことです。その後、息子の村田昭は父を手伝った後、戦中の1944年(昭和19年)に村田製作所を創業しました。
一方、京セラ(6971)の創業者、稲盛和夫は戦後の1955年(昭和30年)に、鹿児島大学を卒業して、松風工業に入社しました。この頃の松風工業は戦前の隆盛の面影はなく、経営危機に陥っていました。それと知らず入社した稲盛和夫は会社に落胆しましたが、思い直し、寝食を忘れて研究に没頭したところ、結果も出るようになり、主任昇格。しかし、新任の上司と衝突し、1958年(昭和33年)に退職。翌1959年(昭和34年)に支援者の協力によって京都セラミック設立に至ります。
その後の村田製作所と京セラはご存じの通り。京都の町の片隅で、いろいろな事があったのですね。
2.歯科医院向けに人工歯や研削・研磨材などを製造・販売
松風の代表的な製品は、入れ歯・差し歯の材料である「人工歯(じんこうし)」です。歯科医院向けのものなので、ドラッグストアなどの小売店舗で一般消費者が見かけることはありませんが、多くの人がお世話になっているものです。
歯科技工士が人工歯を加工して、それぞれの患者の歯並びに適したものにして、歯科医が患者の口内に据え付けます。人の歯の形は様々ですので、代表的な製品である「エンデュラ」だけでも実に4500種もの型があり、まさに多品種少量生産です。製品によって保険適用になるものと、保険適用外のものとがあります。国内では約60億円程度の市場規模で、そのなかで松風はトップシェアとなっています。
この分野での海外展開は、中国、韓国などが主で、欧米はまだまだこれからだそうです。国によって歯の形(大きさ)や色合いが微妙に異なり、松風の人工歯は中国、韓国などのアジアの人達に好まれるようです。滋賀や中国の工場で生産しています。
研削・研磨材も扱います。これは、歯を削ったり、かぶせものを磨くためのものです。歯科医院にいくと、「キュイーン」と思い出すだけでも恐ろしい音がしますが、あの歯を削る機械の一番先についているものです。国内では約50億円の市場規模で、そのなかで松風はトップシェアとなっています。
化工品も扱っています。化工品とは、差し歯の材料、歯の患部(削った後)に詰めるもの、入れ歯の歯ぐきなどに使用される材料です。最近の歯科医院では、銀歯やアマルガムをあまり使わずに、レジン(プラスチック)を注射のようなもので患部に乗せて、光を当てて固める、という方法で詰め物をするようになりましたよね。私が子どものころは、必ず歯型をとって、銀歯を作ってもらって、それを歯に被せてていましたが、最近では銀歯を作らずレジンで被せものをすることが増えています。
その他、最近よく売れている製品として、CAD/CAMシステムがあるそうです。歯型模型をスキャニングし、次に人工歯をCAMソフトウェアで設計し、人工歯の元をその通りに機械が削り出してくれます。こんなところでも技術革新が進んでいるのですね。
このように松風の製品は、歯科医院を通して、私たちに提供されています。この記事を読まれている方のなかにも、お世話になっている人がたくさんいるはずです。
3.早くから海外展開していたのはなぜ?
松風は、1970年代にアメリカ、ドイツに現地法人を設立して、事業展開を行いました。その後も1991年にはイギリスのAdvanced Healthcare社を買収し、2015年にはドイツのMerz Dental社を買収しています。さらに2017年には、ブラジルとインドに現地法人を設立しています。このように古くから海外展開に注力しており、現在では売上高の約4割が海外に対するものです。
このような海外展開のきっかけになったのが、1965年に発売した、世界初の「球状アマルガム」という製品でした。アマルガムは、銀と水銀を混ぜて作った金属の詰め物で、硬化するときに膨張するため、虫歯を治療した後の穴を埋めるのに最適でした。今でこそ水銀は人体に健康上の影響があるということで使われなくなっています。しかし、当時は画期的な製品で、国内で爆発的に売れ、海外でも需要を見込めたため、これを機にアメリカとドイツに進出したのでした。アメリカは大きな市場ですし、ドイツは歯科医療の先端でした。
松風の製品は医療に関連するものですから、海外で販売するには現地政府の認可を得なければなりません。この認可を迅速に得て、安定的に製品を販売するには、現地法人を設立するのが良い、という判断で、各国に現地法人を設立しています。またイギリスへの進出は、買収という形で行いました。
4.近年の業績急拡大の背景は?
松風製品の販売チャネルは、代理店経由で歯科医院に販売する、というものです。歯科医院への直販はありませんが、新商品を歯科医院に説明に行くことはあるそうです。
近年、売上が急拡大していますが、その背景の一つは、2015年4月にドイツのMerz Dental社を買収したことによるもの。もう一つは、アメリカ、中国など海外売上が伸びたことが挙げられます。
海外でも代理店を使った販売チャネルを構築していますが、さらにアメリカでは学術要員(科学的見地から松風製品の優れた点を歯科医師に説明する)を増やして、歯科医に対する働きかけを強化しました。これが奏功したと考えられます。
ちなみに粗利率は、国内と海外でほぼ同等か、海外の方がやや高いそうです。
今後の市場規模は拡大するのでしょうか? まず新興国などで生活水準が上がると、虫歯が増えるとともに、それを治療するのにもお金を使うようになるそうです。
また、高齢化による歯のケアの増加も考えられます。高齢化は日本だけなく、世界的な傾向です(グラフ参照)。
人間は物を噛むと脳が刺激されるそうで、逆に残存歯が少ないと(入れ歯も入れていないと)認知症リスクが高くなるという研究結果もあります。ますます歯の治療は世界的に重要度が増すと思われます。
現在の世界の推定市場規模は2兆6000億円程度だそうです。世界的には歯科用材料の市場は、まだまだ拡大することが期待できそうです。
5.主な競合は?
国内だと株式会社ジーシー(非上場。東京都文京区)が最大の競争相手です。そのほか、ナカニシ(7716)、マニー(7730)、スリーエムジャパン株式会社(非上場。東京都品川区)、クラレノリタケデンタル株式会社(非上場。東京都千代田区)などです。
海外だとDentsply(デンツプライ)という会社が最大で、ナスダックに上場しています(ティッカーはXRAY)。2016年12月期の売上高は約37億ドルにもなる巨大企業です。
6.上場した理由は?
松風は1989年11月、まさにバブルの頂点のころに上場(大証二部、京証。現在は東証一部)しています。当時会長であった五代松風嘉定、社長だった松風定二(じょうじ)は、欧米流の合理的な考え方の持ち主で、会社は社会の公器であり、同族経営をするよりも公明正大に経営する方がよい、という考えのもと、上場されたそうです。
日根野の感想
インタビューに応じてくださった、山嵜取締役、IR担当者の方々ともに、とても誠実に対応してくださったのが印象的でした。社内の雰囲気もそうでした。会社の正門を入ったところに創業者の像が置いてあり、周りには綺麗に手入れされた木々が茂っているのも、社風を表していると感じました。
事業内容は、私たちもお世話になっている歯科用材料で、景気のよしあしの影響を受けにくく、なおかつ世界的にも需要拡大が期待できるものです。国内にも世界にも競合がひしめき合っていますが、そのなかで積極的な事業展開により、業績が拡大してくことを期待したいと思いました。