コニシ【4956】 メーカー、商社、土木建設。3つの柱を持つ創業150年企業
今回はみなさんご存じ、というより、誰でも一度は使った経験がある合成接着剤「ボンド」でおなじみのコニシ【4956】のIR部門を訪問してきました。
コニシの本社は、大阪府大阪市中央区道修町1-7-1 TNKビル(TNKビルは2019年10月に「北浜コニシビル」に名称変更予定)です。
京阪本線・地下鉄堺筋線北浜駅から徒歩1分です。
この近辺は、安土桃山時代に豊臣秀吉によって大阪城西側に東横堀川が開削されたのを契機に、江戸時代に入っても商人が中心となって堀川開削が行われました。
その縦横の水運によって米や反物(繊維)、木材など、様々な物資が集まるようになり、取引が盛んに行われ、巨大な商業都市大阪を形成したのです。
そんな商都大阪中心地の一角にコニシ本社のある道修町(どしょうまち)はあります。
道修町には江戸時代に幕府から許可を受けた薬種商が集中し、日本に入ってきた薬がいったん道修町に集まり、そこから全国に流通していったことから「くすりの町」と呼ばれるようになりました。
今でもこの道修町には、武田薬品工業【4502】や塩野義製薬【4507】、田辺三菱製薬【4508】、小林製薬【4967】、大日本住友製薬【4506】などの大手製薬会社の本社が集まっています。
1.起源は1870年(明治3年)の薬問屋から
コニシの創業者、初代小西儀助(ぎすけ)さんは1836年(天保7年)生まれ。12歳で奉公に出て、商いをおぼえていきました。
儀助さん34歳の1870年(明治3年)、道修町の薬問屋を知人に頼まれて購入することになり、屋号を「小西屋」として事業を始めます。これがコニシの創業です。
小西屋では匂い袋や胃腸薬丸薬などを扱っていましたが、儀助さんは積極的な方だったようで、当時まだ珍しく、アルコールゆえに薬品とみなされていた洋酒の製造・販売に乗り出しました。
しかしこの積極策の結果、莫大な借金を抱えるようになって支払いも滞り、小西屋は取引きがままならない状態になってしまいました。
この窮地を救ったのが、彦根の薬屋で修行を積んだ後、小西屋に奉公に入ったばかりの北村伝次郎さんでした。
伝次郎さんは小西屋で唯一薬を刻める技術者だったことから、小西屋の窮地に際してそれこそ身を粉にして働き、3年ほどで経営を立ち直らせるとともに、迷惑をかけた取引先に対して礼儀を尽くし、小西屋の信用を厚くしました。
これにより、儀助さんの信頼を得た伝次郎さんは1880年(明治13年)に儀助さんの長女と結婚して婿養子となり、さらに1888年(明治21年)には二代目小西儀助を襲名しました。
二代目儀助さんは合理性と積極性を併せ持った人だったようで、経営立て直しから間もない1884年(明治17年)には薬問屋のかたわらでビールの製造販売を手がけ、1888年(明治21年)には葡萄酒(ワイン)の製造販売を開始します。
さらに、1903年(明治36年)には、当時の大阪のメインストリート、堺筋と道修町が交わる角地に「大店(おおだな)」と呼ばれる大規模な商家を建築しました。
現在でも国指定の重要文化財として道修町に残る「小西家住宅」ですが、当時は、家主はもちろんのこと、奉公人なども寝泊まりする住居と、商品倉庫や商売に必要な応接や帳場 などを備えた住居兼会社といった建物でした。
二代目儀助さんはこの大店建設にあたって、建物の中にレールを敷設してトロッコで商品を運ぶしくみを作るなど、効率化策にも積極的にチャレンジしていたようです。
ちなみに、この小西家住宅は1994年(平成6年)まで、コニシの本社として使われていました。
竣工の91年後まで本社として使える建物を建築したところを見ても、二代目儀助さんの凄さが見えるようです。
コラム「ビールとワイン」 洋酒製造では大きな借金を抱えた小西屋でしたが、経営立て直し後に「朝日麦酒(ASAHI BEER)」を世に出したのは1884年でした。 この当時は、キリンビールの前身となる会社(ジャパン・ブルワリー・カンパニー 1885年設立)も、アサヒビールの前身となる会社(大阪麦酒会社 1889年設立)も発足していませんでした(後に札幌麦酒となる「開拓使麦酒醸造所」は1876年設立)。 ビール製造販売事業への参入は早かったのですが、小西屋はその後撤退し、商標その他の権利を大阪麦酒会社に譲渡しました。
また小西屋は1888年に葡萄酒(ワイン)の製造販売に参入しましたが、1892年頃に鳥井信治郎という少年が小西屋の丁稚奉公に入り、葡萄酒づくりをおぼえます。 成人した鳥井氏は1899年に「鳥井商店」を興し、葡萄酒の製造販売を始めます。これが後の「サントリー」(現サントリーホールディングス株式会社【非上場】)です。
ボンドのコニシが、日本の大手酒類メーカーの創業期に関係が深かったとは面白いですね。 |
二代目儀助さんは、1914年(大正3年)には「合資会社小西商店」を設立して法人化し、さらに1925年(大正14年)には「株式会社小西儀助商店」に改組し、経営の近代化にも取り組みました(小西儀助商店の社名は1976年に現社名の「コニシ株式会社」に商号変更するまで、戦前~戦後を通じて半世紀以上親しまれました)。
法人化した頃に飲料用酒類の製造から撤退し、日本薬局方アルコールの製造販売と薬と食品の問屋業に力を入れるようになります。
特にアルコールは、大正から昭和初期にかけて日本有数の取扱高を誇る化学商社として名を馳せたそうです。
しかしその後は戦争が激しくなり、アルコールは戦時統制下に置かれ、商売も停滞を余儀なくされました。
2. 戦後~ ボンド開発、普及、用途拡大
戦中・戦後の混乱を経て、小西儀助商店は1949年には化学品商社として体制を整え、営業を再開します。
専門商社としてアルコールや酢酸などを扱っていましたが、会社の大きな発展のためには自社製品開発が不可欠と考えていた当時の東京支店長が、合成接着剤の研究をしていた研究者と出会い、採用します。
研究者は、休眠となっていた東京工場で思う存分接着剤の研究に取り組むことができ、1952年に無線綴じ製本用の接着剤「ボンド Bシリーズ」が開発されました。
これが、コニシの接着剤メーカーとしての商品第1号です。
このボンドで製本された文庫本や電話帳は、従来の平綴じ製本で必要だった綴じ代が不要になり、余白を小さくすることができるので印刷範囲が広くなり、結果的に紙の使用枚数が少なくできるというメリットがありました。
この無線綴じ製本用「ボンド Bシリーズ」の拡販のために、営業マンが朝日新聞社を訪問し、サンプルを渡していたところ、歯が欠けた下駄の修理にこのボンドを使った記者から「(接着が強力で)非常に良い」という連絡がありました。
これでコニシは、ボンドに木材接着用途があることに気がつき、木工用に最適な「ボンドCHシリーズ」が開発されました。
これにより、家具・建具・建築業界マーケット開拓への道が開かれたのでした。
道は開かれたものの、家具・建具の職人は、なかなか従来のニカワなどの接着剤を、新時代の接着剤であるボンドに変えてはくれませんでした。
そこで、国の工芸試験場での優秀な品質検査結果をもとに、全国の工業試験場で講習・実演を繰り返し、職人の理解を得るとともに、中小金物店などの小売店への商流も開拓し、ボンドを全国に普及させていきました。
ボンドが普及する中で、様々な問題にも直面しました。
1970年頃に流行ったシンナーや合成接着剤を吸引して酩酊や幻覚を引き起こすいわゆる「シンナー遊び」にボンドも使用されたり、1972年のオイルショックによる原料不足で満足に製品が供給できないなどの危機に直面しました。
シンナー遊び問題では、法規制に先駆けて乱用対策をした商品を出したり、原料不足に際しては大手得意先よりも、小口ユーザー優先で供給したりといった営業姿勢で対処し、市場の信頼を高めました。
その後、ボンドの名を持つ製品は、建築・土木分野、自動車や電子部品製造などの産業資材分野等、多方面に向けた製品が開発・発売されていきました。
その過程で1976年には「小西儀助商店」から現社名の「コニシ」に商号変更をし、1994年には大証2部上場、1997年には東証1部、大証1部上場(取引所の合併により、現在は東証1部)となり、今日に至っています。
2020年には創業150年、法人化から106年、株式会社設立から95年を迎える長寿企業です。
3. 事業の柱「ボンド事業」
それではコニシの事業の中身を見ていきましょう。
2019年3月決算の連結売上高は1341億39百万円、営業利益70億31百万円、当期純利益44億4百万円です。
コニシの事業は「ボンド」「土木建設」「化成品」の3つのセグメントに有価証券報告書で分けられています。
ボンド事業は、一口に「ボンド」と言っても、多種多様な製品群となっており、主にコンシューマ分野、住関連分野、産業資材分野などの製品群があります。
コンシューマ分野は、文房具店や100円ショップなどの小売店で買えるボンド製品です。
みなさんも見覚えがあると思いますが、赤いキャップに黄色いボトルのボンドは、立体商標登録がされています(商標登録5053354号)。
「ボンド 木工用」以外にも多くの製品がありますが、最近はズボンの裾上げなどに、ミシンを使わずにボンドで布地を接着する「ボンド 裁ほう上手」がヒットしています。
住関連ではベニヤや床材の接着などの施工にボンドは欠かせません。また、家具や建具の組立・接合にもボンドが用いられています。
接着剤や塗料は、原材料にホルムアルデヒドなどの揮発性有機化合物(VOC)が含まれることがあり、ホルムアルデヒドは新築住宅の気密性の高まりとともに「シックハウス症候群」を引き起こす主原因となります。
コニシの住関連ボンド製品はJIS規格や日本接着剤工業会の4VOC基準適合の認定を受けており、住む人はもちろん、作業者にとっても安心して使える製品となっています。
産業資材分野では、ボンドの最初の製品が製本用だったこともあり、製本用はもちろんのこと段ボールや紙管、製袋用の接着剤をはじめ、自動車分野ではシートなど内装部品の接着にコニシ製品が多く使われています。
また、スマホやタブレットなどの液晶パネルの固定にもコニシ製品が使われています。
面白いところでは、シートのクッションとして使われるウレタン発泡剤を、型からスムーズに抜く際に使われる「離型剤」もコニシ製品が使われています。
「モノとモノの接着」を追求したその先に、「モノとモノの分離」のための製品も開発したというのは面白いですね。
このような多種多様なボンド製品によるボンド事業の売上は497億20百万円、セグメント利益は41億38百万円、連結売上にしめるボンド事業の売上比は約37%です。
4. 成長が期待される「土木建設事業」
土木建設事業では、ビルや橋梁、トンネル、鉄道の高架橋等の鉄筋コンクリート構築物などを対象とした補修工事用製品の製造・販売と工事受託をしています。
鉄筋コンクリート構築物は、耐久性・耐火性・構造耐力にすぐれ、規模の大きな建築に適しています。しかしながら鉄筋コンクリートは、その特性から必ずと言っていいほどクラック(ひび割れ)が発生します。
クラックが中の鉄筋にまで達すると、雨水等により鉄筋が腐食・膨張して、さらにコンクリートを弱くします。そこで鉄筋コンクリート構築物には定期的なメンテナンスが必要になってきます。
クラックに沿って、数本の注射器様のシリンダーに入った接着剤を配置・注入して、補修するためのボンドがあります。
これはコンクリート補修に適した接着剤を開発しただけでなく、補修の工法も開発し、「コンクリ-ト等のクラック補修方法(特開昭56-046062)」(ボンドシリンダー工法)として特許取得をしました。
その他、様々な補修工法を開発し、補修用部材を販売しています。
さらには、メンテナンスの枠を超えて、ボンドを使った耐震補強工事も請け負っています。
たとえば、1995年に発生した阪神淡路大震災以降、鉄道用高架や高速道路の橋脚の補強をよく見かけるようになりましたが、コニシでは炭素繊維などの連続繊維に専用のボンドを含浸させ、積層して施工することで、鋼板補強以上の耐震補強高架を発揮できる「連続繊維シート補強工法」などの施工実績があります。
土木建設セグメントの売上は297億50百万円、セグメント利益が22億46百万円です。
この内訳は、子会社のボンドエンジニアリングや角丸建設などの工事売上が約55%、土木建設用コニシ製品の売上が約45%となっています。
戦後、数多く建設された橋、道路、トンネル、上下水道などの建築物ストックの補修・改修、あるいは補強ニーズはこれからますます高まります。
今後の成長が期待される分野です。
5. 実は売上が最も大きい、祖業「化成品事業」
1870年に薬問屋として創業し、大正に入った1912年頃に問屋業に専念。戦後の1949年に化成品専門商社として再スタート、というように化成品を扱う商社事業は常にコニシのバックボーンです。
ボンド製品を中心としたメーカーとの印象が強いコニシですが、実はボンド、土木建設、化成品の3つのセグメントの中で、最も売上高が多いのは化成品事業です。
化成品事業では各種アルコール類をはじめ、各種溶剤や可塑剤、プラスチック原料・触媒・樹脂添加剤など、多様な商品を取扱い、自動車メーカーや電機・電子機器メーカー、塗料メーカー等に納めています。
また、2018年には従来接着剤研究を主に行っていた「基礎研究所」を廃止し、新たに「材料化学研究所」を立上げて、化成品事業からのテーマも積極的に研究する体制としました。
化成品セグメントの売上高は545億38百万円、セグメント利益は6億21百万円です。
連結売上に占める化成品の売上は約41%で、ボンドの37%を上回っています。
6.競合、海外での事業展開
接着剤の業界におけるコニシの国内シェアは13%で国内トップです。接着剤は用途別に細分化された商品が、多数のメーカーから出されているため、トップのコニシでも10%台前半の市場占有率になっています。
競合の中でも業態が近いのがセメダイン【4999】で、2019年3月決算の売上高は276億47百万円です。
その他、住関連接着剤ではセメダインの他にアイカ工業【4206】や積水フーラー(積水化学工業【4204】とH.B.フーラー(米国)の合弁)など、住関連資材メーカーが接着剤も商品化しています。
また産業資材分野ではスリーボンド【非上場】、土木建設分野ではショーボンドホールディングス【1414】がそれぞれ分野のパイオニアです。
海外メーカーでは独のヘンケル(2018年売上高90億ユーロ、約1兆1千億円)や、米の3M Company(2017年度売上高316億57百万ドル、約3兆4千億円)などの巨大企業が接着剤でも大きなシェアを取っています。
コニシの海外展開は、現在中国やベトナムなど5か国(2019年4月時点)に現地法人があり、主に現地に進出している日本企業向けに工業用ボンドや化成品の製造・販売をしています。
海外では住宅建設において、ボンドを使用した施工方法はまだ普及しておらず、きれいな仕上がりが期待できるボンドの普及はこれからの課題です。
コニシでは現在約6%の海外売上比率を10%まで高めたいと考えています。
今期から始まった「新中期経営計画2021」では、2021年3月決算で売上高1500億円、営業利益86億円を目指しています。
計画達成に向けて、ベトナム現地法人の製造設備増強や、M&A、新製品開発等、積極的な投資を進めています。
インタビュー後記
私たちが子どものころ工作で使っていた「ボンド 木工用」。大人になった今ではDIYで使っています。
身近な製品を出しているコニシですが、今回のインタビューでシール材や離型剤、各種産業資材、コンクリート耐震補強と、接着剤の奥行きの深さを知り、多くの驚きがありました。
そして何と言っても創業150年。
長い歴史の中で直面した幾多の危機、難関を乗り越えて新たな事業にチャレンジし、新製品を開発し、新たな工法を提案してきた企業姿勢は、今後も脈々と受け継がれて行くことでしょう。
以上
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