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Ico handshake lg う~ん、マンダム。1950年代から消費地としてのアジアに注目した事業展開!


会社訪問第4弾は、マンダム(4917)です。 銘柄レポート2015年8月号で取り上げました。当時5,450円だった株価は、訪問日(2017年9月7日)において6,310円でした。

1.本社は創業の地

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マンダム本社は、大阪市中央区十二軒町5-12というところにあります。大阪市営地下鉄 谷町線の谷町六丁 目、もしくは長堀鶴見緑地線の松屋町という駅から歩いて数分のところにあります。

右の写真はマンダム本社の外観です。11階建てくらいでしょうか。

このあたりは、あえて上場企業が本社を構えるような場所ではありません。

 この場所は、実はマンダム創業の地で、当初はこの本社の道路を挟んで北隣に工場があったそうです。 (今は工場は兵庫県 神崎郡 福崎町 に移転しています。国内工場は福崎工場だけ。技術開発は本社で行っている。)

 創業は1927年(昭和2年)。1927年というと日本では昭和金融恐慌が起こった年で、 ウォール街で株式が大暴落し世界恐慌が始まった1929年より2年前です。 少しさかのぼると1923年が関東大震災、1919年が第1次世界大戦終結という時代です。

そのような時代に、大阪のこの地で、西村新八郎(しんぱちろう)さんが創業しました。

 

2.金鶴香水(きんつるこうすい)、丹頂チック(たんちょうちっく)で有名に

マンダムは当初、金鶴香水という商品を販売しており、社名も「金鶴香水株式会社」でした。 原料を輸入し、国内で香水を生産して、販売していました。

丹頂チックとは、整髪料の一種です。それ以前は、整髪にびん付け油が使われていました。 今もお相撲さんが使っています。 びん付け油は、固形にした油で整髪に使うのですが、手が汚れてしまうという短所がありました。

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それに比べて丹頂チックは、スティックのりのようなもので、頭に塗って使います。 びん付け油に比べて手が汚れず便利なもので、大ヒット商品となりました。

この1933年に発売された丹頂チックですが、なんと今もドラッグストアで購入できるそうです。 年配の男性のなかに、今もこよなく愛用している方がいるうです。 80年以上の長きにわたって愛用されている商品なんですね。驚きました。

丹頂チックが看板商品になったことから、社名も1959年に「丹頂株式会社」に変更しました。 その後、「マンダム」シリーズが大ヒットを受けて、この度は1971年に社名を「株式会社マンダム」に変更しています。

 

もしかすると、また次のヒット商品が出たときには、社名を変更するのかもしれませんね。

3.同族経営 〜西村家〜

創業者の西村新八郎さんの次に社長になったのが、西村彦次(ひこじ)さんで、1961年就任です。 彦次さんは、新八郎さんの長男になります。

その次に、西村育雄(いくお)さんが1980年に社長に就任しています。育雄さんは新八郎さんの次男です。

そして、1995年に現社長の西村元延(もとのぶ)さんが社長に就任しました。元延さんは彦次さんの子どもです。

このように代々、西村家が社長を務めてきた同族経営の会社です。

現在の元延社長は、1951年(昭和26年)生まれですから、今年で66歳です。次の社長はどうなるのでしょうか?

誰が次期社長なのかはわかりませんが、今年の7月から元延社長のご子息の西村健さんが執行役員に就任しています。

4.華僑がきっかけでフィリピン、インドネシアに進出

マンダム(当時は金鶴香水株式会社)が販売している丹頂チックを好んで購入していた華僑がいたそうです。 拠点はフィリピンやインドネシアにあり、取引のために日本に来たときに、丹頂チックが気に入ったそうで、 たくさん購入して持ち帰ったそうです。 今でいう爆買いですね。

そして、フィリピンやインドネシアの華僑を中心に丹頂チックが受け入れられそうだということで、 これらの国々へ展開することになりました。

1958年フィリピンで技術提携工場が稼働。1969年インドネシアに法人設立し、事業展開を始めました。 フィリピンは今から約60年前、インドネシアは約50年前から、事業を行っていたのですね。 非常に早い時期の海外進出です。当時、日本国内は高度経済成長下にありました。 1964年に東京オリンピック、1970年に大阪万博が開催されるなど、国内には大きなビジネスチャンスが広がっていたはずです。 それに比べれば、当時におけるフィリピンやインドネシアは、今よりもずっと魅力が乏しかったでしょう。

しかし、その時期にあえて海外進出したことが、今となってみれば成長のドライバになっています。

企業の経営判断というのは、本当に難しく、高度なものだと感じます。

5. 生産地としてではなく消費地としての海外展開

マンダムの海外展開は、一般的な日本企業よりはるかに早い時期から行われていましたが、もう一つ特徴がありました。 それは生産地としてではなく(つまり安い人件費で商品を生産するための生産拠点としてではなく)、 消費地として(現地の国々の人たちが使う商品を販売する)の展開でした。

ホームページの社長のメッセージにも書かれていますが、 「人の気持ちを思いやる心を持ち、人が喜ぶことを想像し、人に役立つ価値を創造していく」 ことを大切にする企業ということです。

私もIR資料やIR担当者とのやり取り、そしてマンダムの業績などから、そのような価値観を感じることができました。

そのような価値観のひとつの表れが西村奨学財団ではないでしょうか。

6. 公益財団法人 西村奨学財団 〜アジアからの留学生に奨学金援助を〜

西村育雄さんが保有する株式などを拠出して設立されたのが、西村奨学財団です。

設立は、1999年9月25日で西村育雄さんが、マンダム株式100万株と現金2億円を寄付したことによります。 100万株は現在の株価で計算すると60億円ほどになります。 その後、2003年11月11日には、現社長の西村元延さんが80万株を西村奨学財団に寄付しています。 これらの寄付された株式に対する配当金が、この公益財団の運営資金になっています。 西村育雄さんはアジア事業を活発に展開した社長でした。

西村奨学財団は、「南西アジア・東南アジア・東アジア諸国および地域から留学生および招へい教員に対し、 奨学金援助を行うことにより、より充実した勉学・教育および研究を継承させること」を目的としています。

このような地道な活動が、親日外国人を増やし、日本への観光客の増加などにもつながっているのだと思います。

ちなみに西村奨学財団は、マンダムの筆頭株主です。

7. マンダムの語源?

マンダムという言葉ですが、造語です。

当時、男性用化粧品の商品名として「マンダム」が選ばれたのですが、男性(Man)、領域(Domain)を合わせ、 略して「マンダム」になったそうです。

Man + Domain → マンダム

ただ、現在では女性用化粧品も扱う会社であることから、マンダムの解釈を見直して、 Human(人)とFreedom(自由)を合わせ、略して「マンダム」としているそうです。

8. ギャツビーの語源?

マンダムの人気商品「GATSBY(ギャツビー)」は、ロバート・レッドフォード主演の映画「華麗なるギャツビー」に 由来しているそうです。 1974年の映画です。 原作はスコット・フィッツジェラルドの小説『グレート・ギャツビー』です。 この映画に感銘を受けた社長が「ギャツビー」という商品名に決定したそうです。

ちなみに、ギャツビーの商品CMには、昔、松田優作さんが出演されていましたが、 今はその息子 松田翔太さんが出演されています。

9. 今後、海外展開で注力していきたい国・地域は?

現在の主力市場であるインドネシアに続く将来の成長エリアとして、インドシナエリアを見据えています。 インドシナエリアとは、具体的にはタイ、ベトナム、ミャンマー、カンボジア、ラオスです。 これらの国の人口を合計すると、ちょうどインドネシアと同じくらいの規模になるそうです。

10. 海外展開する際はどの商品を展開するのか?

基本的な考え方として、消費者の所得が多い国は、日本と同様のラインナップ。 所得がそれほど多くない国は、小分けにした商品などをラインナップしているそうです。 例えばインドネシアの小分け商品であれば、1個6グラム約4円だそうです。

なお、国内では人気のルシードですが、商品の特徴として無香料という点が挙げられます。 無香料が好まれるのは日本特有だそうでして、海外では無香料というのは、 商品として魅力がないそうです。なので、ルシードは国内のみの展開となっています。

11. 国内での顧客層

ギャツビー:19歳±2歳
ルシード:40代を中心とするミドル男性
だそうです。

編集後記

いい会社やな〜、というのが率直な印象でした。

今回のインタビュー相手は、IR室の室長さんだったのですが、創業当時のことからよくご存じで、 経営者の経営理念などについても、よく理解され、丁寧に説明してくださりました。

IR室なんやから当たり前。と思われるかもしれませんが、経営者の想いなどを説明してくれない企業もあります。

ROEが10%弱で成長スピードはそれほど速くありませんが、安定した堅実な業績を出していること。 創業者一族である西村家が代々、創業者の想いを継いで経営していること。 前社長の西村育雄さんと現社長の元延さんが拠出している西村奨学財団がアジアからの留学生を支援していること。 などなど、IR資料で直接的には語られませんが、行間からにじみ出るこういった要素が、 全体として良い会社であることを物語っているように思いました。

次期社長がどのような経営をされるのか、またいつ代わるのか、不安な要因もあります。

しかし、おそらくは今後10年以上の長期にわたって息長く成長するであろう、という可能性を強く感じたインタビューでした。

※本稿は、日根野がヒアリングした内容を、事前に調査した内容等も踏まえて総合的に記述しています。 企業が正式に発表した見解・事実等ではないので、ご留意ください。

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